今治地方で盛んに踊られている木山音頭は、慶長7年(1602年)に始まりました。
同年、この地に転封となった藤堂高虎公が、“いよいよ、この地を治める” という決意を込めて、今張から“今治”に地名を改めました。
当時築城の名人と言われた高虎公が全国的にも珍しい海水を堀に引き入れた海岸平城の今治城を築城し、木山六之丞が普請奉行として之にあたり、地固め土木の元気を付ける為、自らの風体を唄にしました。
人夫達の慰労と普請の能率を上げるために作られた踊りが、後世今治地方盆踊りの木山音頭になったと言われており、今日も庶民に親しまれています。